あるくきんしれー。

【ファンガチ論争①】『勝ち』に対する認識の違いを考えてみた

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こんにちは!今回は遊戯王界で定期的に話題となる『ファンガチ論争』についてです。

 

え、不穏?そんな話題大丈夫かって?

 

大丈夫だよ(たぶん)。

はじめに自分の立場を話しておくと筆者はガチプレイヤーです。しかし、昔っからガチデッキを使っていて大会出まくっていたわけでは無く、ファンデッキを使っていた時代もありますしそういった対戦動画を見るのも好きでした。

そのため今でもファンデッキを使う人の気持ちも歩み寄れると思ったので、本ブログでは『ファンガチ論争』について徹底的に解明していきたいと思います。

 

『勝ち』に対する認識の違い

今回のテーマは『勝ち』と『目的』についてです。

まず初めにカードゲームを楽しむからには『目的』があって、その目的が違うからこそ『ファン』や『ガチ』などのプレイヤー属性が生まれているのだと考えています。

その属性についてですが、本記事の目的は『勝ちの認識』を紐解くことなので敢えて属性を細分化せず『ガチプレイヤー』『ファンプレイヤー』の大きく2つにわけて考えていきたいと思います。

先日、Twitterで次のようなツイートを見ました。

カジュアルは勝ちにこだわらないんじゃない。その逆で『勝ちにこだわらないこと』にこだわってるんだ。

このツイートはおそらく『ファンプレイヤー』側の意見です。『勝ちにこだわらないことにこだわる』と聞くと面倒な人は『勝てないことに対する言い訳か?』とか突っかかってこういうところからファンガチ論争に発展したりするのですが、

ここで言う『勝ちにこだわらないことにこだわる』というのは『負けてもいい』という意味ではないと考えます。

 

まず一般的なカードゲームのプロセスですが、①デッキを作る②対戦をする③勝敗が生まれる

この3つです。

 

カードゲームに限ったことではなくスポーツもこんな感じですよね。対戦するためにはデッキが必要で、対戦するからには必然的に勝敗が生まれます。

では、どこで『ファン』と『ガチ』の差が生まれるかと言うとこの一連のプロセスのどこに重きをおいているかだと思うんです。この重きがすなわち『目的』であり、目的によって構築や対戦に対する意識が変わっていくものだと考えます。

そして最も重要なのがこの図では表れていない『充実感』という要素です。この『充実感』によってカードゲームをやっていて楽しいと感じ、カードゲームをプレイしたい、カードゲームを通じて人と繋がりたいと感じるのではないかと思います。

 

ガチプレイヤーのプロセス

次にガチプレイヤーのプロセスですが、これは結構分かりやすいです。単純明快。

ガチプレイヤーは対戦によって勝つことを目的としています。そして勝つという目的を達成する喜びや、優勝したいという向上心によって活動をしています。

よくファンガチ論争で『ガチプレイヤーは勝つことしか考えていない』や『勝てれば何をやってもいい』みたいな偏った批判がありますが、話がこじれるので今回は置いておきます。あくまで『正しいルートに沿って勝つ』のがガチプレイヤーです。

では、こんな単純プロセスでゲームをしているガチプレイヤーは勝つことしか考えていないのか?と言うとそうではありません。先ほど『充実感』の要素が重要だと話しましたが、ガチプレイヤーは勝利を目的に活動をしておりもちろん『勝利→充実感』にもなりますが『充実感=勝利』ではないのです。ここをはき違えると『勝てればなんでもいい』のようなイメージを持たれてしまいます。

 

ガチプレイヤーの『充実感』

ガチプレイヤーは『勝利』が目的であり、勝利を目指して対戦と構築を行います。つまり『勝利』が目的なので一般的なプロセスとは逆順で対戦と構築を考えているわけです。この構築と対戦での充実感が重要で、勝利という共通目標のためにどのようなゲームを目指すか?どのような構築やカードで勝つか?を考えること、実行し体験することにより充実感を感じます。
つまり『充実感』は勝利という目的を果たす過程で捻出される副産物なわけです。勝利が出来たら最高、仮に負けたとしても充実した対戦が行えたら楽しい、それらが構築の充実感を得るためのモチベーションになっています。逆に負けた上に理不尽なゲームで対戦の中での充実感も無いなら最悪のゲーム、それがガチプレイヤーなのです。

 

ファンデッキプレイヤーのプロセス

一方でファンデッキプレイヤーはどうでしょうか?

先ほどガチプレイヤーは『勝利』を目的とすると話しましたが、ファンデッキプレイヤーは構築、対戦の充実感を目的としています。

先ほどガチプレイヤーは勝利が目的で充実感が副産物となっていましたが、ここで異なるのがファンデッキプレイヤーは『充実感』=『目的』となっていることです。

ファンデッキプレイヤーは構築によってオリジナルコンボを生み出したり、自己表現を行うことに充実感を感じ、そこで作ったデッキで対戦を行う体験によって充実感を感じています。『対戦』とは言いますがそこは舞台といった方が近く、構築によって準備したコンボを披露する場なのです。

構築は対戦を意識してプランニングすることはガチもファンも変わりませんが、ガチプレイヤーは勝ちを目的にしているのでどうしたら勝てるか?という部分に重きを置いています。勝つためには自分の強い動きを通すこと、相手を妨害すること、自分の動きの再現性を高めること、運の要素を下げることなどがあります。

一方でファンデッキプレイヤーの場合は『勝つ』ことのウェイトが低いの自分の動きを通すことや再現性を高めること、それに加えて動きの柔軟性にウェイトを置くことができます。また、『環境』がないためデッキ選択や構築の自由度が極めて高く、構築による充実感を得やすいのだと考えます。

 

 

このように、構築段階での充実感が高いファンデッキプレイヤーですが、今回キーとなる『勝利』の位置づけは何なのでしょうか?

筆者はファンデッキプレイヤーの『勝ち』の認識は構築と対戦の充実体験の結果得られる副産物なのだと考えます。

対戦ゲームという性質上勝者と敗者は必ず生まれるため、勝敗を避けることはできませんがガチプレイヤーのようにそれを最優先ではなくあくまで対戦相手両者の充実体験の結果生まれてこそ価値のあるものが勝利の位置づけなのだと思います。

カジュアルは勝ちにこだわらないんじゃない。その逆で『勝ちにこだわらないこと』にこだわってるんだ。

という言葉は『勝敗』から避けているのではなく、『勝ち』を意識しすぎると対戦における充実感を破壊することに繋がるため、お互いの充実体験のためにも勝利は副産物の認識で挑まないとファンデッキプレイヤーの『充実感』は成立しなくなるのです。

 

ガチプレイヤーと比較すると、『勝利』というTCG競技における共通認識が目的となっているガチプレイヤーと異なり、ファンデッキプレイヤーの目的『充実感』の副産物として『勝利』が存在しています。この『勝利』の認識がお互いに一致しなかった時、つまりパワーバランスが乖離した時にファンデッキプレイヤーの面白さは成り立たなくなってしまいます。そのためには『勝ちにこだわらない』の共通認識がないといけないのでファンデッキプレイヤーの目的達成はガチよりもシビアなものでしょう。

 

ファンとガチプレイヤーの比較

 

ファンデッキプレイヤーとガチデッキプレイヤー、ゲームのプロセスは同じですが目的と副産物の価値観が真逆となっています。先ほども言いましたがガチの目的が『勝利』の共通認識なのに対してファンはそれが副産物である場合が多いので、ファンデッキプレイヤーの中で思考が『勝利』にぶれてしまった場合に充実感を得ることが難しくなってしまいます。そういう意味でファンデッキプレイヤーを一括りに『ファン』でまとめてしまうことが難しく、より細分化して理解していかないとこの論争から抜け出すことは出来ないのかな、と思いました。

 

今回取り上げた『ファンガチ論争』、お互い求めるゲームの形が異なるので同じカードゲームをしていても全く別の生き物であると考えるべきでしょう。それらが理解し合って同じレールに乗ることは不可能であり、そもそもそれを目指すべきではないと思いますが、やはりTwitter等で意見が食い違う時は認識のズレが原因になっていることがほとんどなので、

 

『そういうもの』と言う認識は広める必要があるのかなぁと考えています。